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この文書は、1996年に出版された本、「ナチュラル・ステップ ー スウェーデンにおける人と企業の環境教育」(カール=ヘンリク・ロベール著、市河俊男訳、レーナ・リンダル協力、新評論発行)の後書きとして書きました。10年前のことですが考え方はほとんど変っていません。(冷房しやすいところに引っ越してから、ござを敷いて寝るのはしなくなったのですが。)

スウェーデンからの贈り物「ナチュラル・ステップ」


この本の著者は癌の研究者であるから、まず細胞の立場から環境問題を見ている。人間の細胞は驚くほどほかの動物や植物の細胞と似ているという。したがって、スウェーデン人と日本人の細胞もほとんど同じだろう。だから、細胞の立場から見た環境問題は日本人と スウェーデン人、世界中の人々に共通する問題だということだ。

しかし、日本に住んでいる人の文化とスウェーデンに住んでいる人の文化は違う。それぞれの文化が、その国の自然や風土から生まれた。たとえば、日本人はお米を食べているけれども、日本人だから食べているのではなく、お米に合った自然と気候の中に住んでいるから日本人は米を食べる文化をつくった。それは賢いことだ。小麦の文化をつくろうとしたならば、現在のような豊かな社会にはならなかっただろう。

私達の細胞を脅かしている多くの環境問題から脱出するために、この本は循環型社会を実現しようと呼びかけている。社会の在り方を変えようという話だ。社会が変ると皆の生活が変るし、文化も変る。だから循環型社会をつくることは、循環型文化をつくることも意味すると私は思っている。しかし、地域のそれぞれの風土により、さまざまな文化が生まれてきたのと同じように、循環型文化も一つではなく数多くつくる必要があると私は思っている。

外国に長く住んでいると、自分の国とその文化を違う目で見るようになる。自分の国をほかの国と比較するようになり、良いところと悪いが以前よりもよく気がつくようになる。スウェーデンのことをまったく知らない人にいろいろ聞かれる機会が多い。そのほとんどが、スウェーデンはどんな国か、短く説明されることを希望している。そこで考える。自分の国を短く説明することが必要となる。そして、私はこんなことを言いたい。
「スウェーデンは自然破壊の危機に早く目覚め、国を挙げて自然と調和した社会をつくろうとしている国です」



この本が証言しているように、スウェーデンはすでにその方向に向かおうとしているから、私はうれしい。

文化というのは、それぞれの国において統一し、また固定したものではない。いつも細かく変化するものだ。一人ひとりの文化もそれぞれ違う。

日本で生活しているスウェーデン人の私は、先日、野外で自由に歩いている鶏の卵をスーパーで買った。ほかの卵より少し高いけれど、狭い囲いかごに入って毎日苦しんでいる鶏の卵より、幸せそうな鶏の卵を食べたほうが私は幸せだ。それは、私の文化の一つだ。自然の中で分解可能な洗剤で服を洗ったり、皿洗いをするのも私の文化の一つだ。去年の夏セミがうるさかったのに、今年はなぜ鳴かないのか、外の木にとまっているセミを見ながら考えるのも私の文化だ。とても蒸し暑いときにござを布団の上に敷いて寝るのも私の文化だけども、これは日本人に教えてもらったことだ。自分だけでは絶対に思いつかないだろう。売っているござを毎日見ても思いつかないだろう。これは日本の文化だが、私の生活の文化にもなっている。一人ひとりの毎日の生活が、それぞれの生活文化となっている。



この本を読んでまず思うのは、「私は何ができるのか?」ということである。

自分の生活から考える。生活は一人だけで成り立っているわけではない。ものの付き合いはあるし、ほかの人間との付き合いもある。動物と植物との付き合いもある。植木、庭の花、野菜、肉、卵、魚、ゴキブリ、セミ、鳥との付き合いもある。このさまざまな付き合いを考えると、付き合い方のバリエーションは山ほどあるだろう。南米でつくられたコーヒー豆を煎って毎朝飲んでいれば、毎朝南米と付き合っているということになる。このような幅の広い付き合いは毎日あるわけだから、「私ができること」というのも、同じぐらい幅が広いと考えられる。

そう思うと、社会を変えていくことにいつでも参加できる。自分が実はその歯車の一つなのだ。毎日、多くの環境問題の恐ろしい情報を目と耳にしても、自分の力で少しずつその解決に向かうことができる。社会が新しい方向に少しずつ変わっていくことを、楽しみとすることもできる。

私の生活を美しいものにしたい。私の生活はゴミ工場みたいな生活であってほしくはない。使ったものすべてが、もう一度循環システムに乗り再生されるなら、私の生活はさわやかな気持ちとなれる。



この本には、四つの原則が提唱されている。誰も反論できない。科学にもとづいた自然の法則を、現実的に考えた論理からなる四原則だ。この原則はいつかどこかの国の憲法に載るのだろうか。その国の住民は、きっとゴミ処理問題の負担もなく、軽ろやかな気持ちでいられるだろう。その国の住民の生活はどんな生活だろう。考えてみよう。そうすれば、人間は皆滅びるという暗い将来よりも、人間の想像力をくすぐるような、別の将来が見えてくるだろう。その準備を早くしよう!



1996年、レーナ・リンダル(Lena Lindahl)

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(c) Lena Lindahl 1999-2006