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屋久島紀行


2005年9月、屋久島に行く機会がありました。宮之浦岳という屋久島の一番高い山を登るという企画でした。山登りが特に好きではない私ですが、屋久島は珍しいところですし企画してくれる人がいたので、これこそが屋久島に行くチャンスだと思って「山を登るのはなんとかなるだとう」と、参加することにしました。

指示に従って荷物を作って羽田空港の集合場所に行けば、後は飛行機に載って、頑張って歩いて、皆と一緒に食事をすればいいという楽な行き方でした。というのは、仕事も遊びも自分でよく旅行を企画するので、たまに企画を考えずについていくだけの参加は私にとっての珍しいことでした。担ぐ荷物はあったけれども自分は軽いという気持ちで出発しました。

日本の山

一度富士山に登ったことがあります。登るのは真夜中で、人は大勢で、頂上に到着するとおそば屋さんや郵便局など建物がいっぱいありました。山を登ることで有名な富士山の自然を楽しむことを期待していた私はがっかりしました。自然体験というよりも、日本の観光文化を体験しました。それで面白かったのですが、飛行機などから遠くから富士山の不思議な美しい姿を見たほうが富士山が好きになると思います。外国では富士山は「日本の聖なる山」として知られていますが、一度登って、頂上での観光業を見ればそう思わなくなるでしょう。

日本は山が多い。このごろは、フリーで仕事しているので、東京にずっといる必要はないですが、以前はそうではなく、ある組織の職員だったので東京からあまり離れられない生活が数年も続きました。人がいっぱいでどこも場所が狭い東京にいてフラストレーションが貯まって、自然の中へ行きたい気持ちになりました。友達何人かを集めて英語のガイドブックを便りに東京近辺のハイキングに出かけました。何回か行っているとよく分かるようになりました。日本は、自然の中に行きたいならだいたい山登りをしないと行けません。仕方ないから日帰りで山登りのハイキングをしました。とても楽しかったですが、フリーで仕事をするようになってから行かなくなりました。日本の山と付き合うことも生活からだんだん消えてしまいました。そして突然、ほか8人と一緒に屋久島の宮之浦岳へ。

何とか登った宮之浦岳の頂上

屋久島は雨がよく降ることで有名らしいですが、私は4日間滞在してその一滴も経験しなかったので、そんなに雨のことを言わなくてもいいんじゃないかと思うようになったのですが、異例のことだったかもしれません。とにかく完璧な天気に恵まれました。宮之浦岳に登っている間だけは霧がかかってきたので、どこまで行くのかがよく分からなく、ただ足を一歩一歩運ぶことに集中してガイド役の朝倉さんについていけばいいという状況になりました。最後は大分疲れてきたけれども、終点が分からないというのはよかったのかもしれません。目標が分からないと、距離とか時間、遅いか、大丈夫かなどを心配するしようがないから、ただ一歩一歩進めばいいのです。その分だけ朝倉さんは代わりに心配をしてくれたようですがそれは真面目なガイドの苦労の一つです。そして頂上に到着してほっとすると突然周りが晴れて別世界のようでした。山の頂上に登って景色を見晴らすことができるとやはり気持ちいいです。登る時が大変だったことをすぐに忘れてしまいます。

宮之浦岳の標高から見た自分

宮之浦岳の頂上は標高1935メートルだと知りました。山とあまり関わりのない私はそんな数字を知ってもピントきません。行く前は、「自分が無事に登れたらいい。標高の数字はどうでもいい」と思っていました。屋久島は南の島ですから自然はジャングル的なものかと思っていました。しかし宮之浦岳を登ってみると、自然の表情はジャングルとは全然違って、スイスのアルプス辺りで経験した自然と少し雰囲気が似ていると感じました。びっくりです。日本庭園的なところはあったけれども、それ以外の日本らしさはどこへ行ってしまったかと思うような景色でした。後になって記憶のもっと奥の深いところを探ると子供の時に住んでいたエチオピアの景色も雰囲気の似たところがあったと思います。

ということで、後になって標高何メートルかというあの数字はやはり気にすることになりました。帰ってきて確認をすると、宮之浦岳は実は、スウェーデンの一番高い山、ケベネカイセと同じぐらいの高さだと発見しました。その基準で考えると世の中の「標高」の意味が少し見えてきました。スウェーデンはあまり山がないですが、ノルウェーとの国境沿い当たりはあります。ケベネカイセはその山の一つです。ケベネカイセに登ろうと一度も思ったことがないですが、屋久島で登った山がケベネカイセと同じぐらいの山だったと考えると突然興味をもつようになりました。

生まれ育ちの環境はスウェーデンの他にエチオピアもあります。父が開発援助の仕事をしていたため、4才から9才ぐらいの5年間、家族5人で首都アジスアベバに住んでいました。子供の時以来エチオピアに行ったことがないので、来年は行こうかと考えているところです。それに向けて同じくエチオピアで育った人の本を読んでいるとまた発見がありました。アジスアベバは標高2,400メートルのところにある町です。世界で一番高いところにある首都の中で3番目に高いそうです。ということは、私は子供の時の5年間も、宮之浦岳の頂上より高いところに住んでいたのです。

このように宮之浦岳に登ったおかげで自分の人生を初めて「標高」という視点から見ることになりました。

山を登る楽しみ

頂上の後は、一番難しいところを無事に乗り越えてほっとしたのかもしれませんが、自分の中はとても和やかになりました。山を登るのは面倒くさいと思う私は少しだけ山を登る楽しみを分かるようになったのかもしれません。山を登って何かを流したのか、自分の体の中で晴れたというか、何でしょう。いつも頭で仕事をしている自分は、たまに頭ではなく筋肉が主役になった楽しみかもしれません。その日は宿泊する山小屋に割と早く到着したので、気持ちのよい日差しを浴びながら休んだり、夜は星空を見たりしてとてもリラックスできました。

長老

次の日は前の日と同じように真っ暗の中で出発しました。今回は緑のきれいな森の中を歩きながら日が昇ってきました。寝坊が好きな私は朝の大ファンではないですが、晴れた日の屋久島の森を歩いていた時の朝は素敵でした。人間は毎日あんな朝を経験して生きていれば必然的にオプティミストになるでしょう。

森の中で朝を迎えてから縄文杉を訪問しました。木ですから「訪問」というのはおかしいかもしれませんが、やはりそうです。日本の長老の一人に挨拶に行った感じがします。どんな天気であれ、人間社会は戦争であれ平和であれ、日本は日本という国の時代なのか屋久島は人間の知らない島の時代なのか、そのすべてに関係なくじっとそこに立っていたのですよ。でも観光業というタコの手は縄文杉にまでも届いています。縄文杉から降りていくと登ってくる大勢の観光客に出会いました。朝倉さんが早く進みたい理由が分かりました。時間が遅くなると交通渋滞ができてしまうほど多くの人々が縄文杉へ向かって上がってきます。縄文杉の前に作られた木製の観察台も人でいっぱいになるでしょう。私たちは朝早く山のほうから縄文杉のところに行ったので人がまだいない静かな時に縄文杉にゆっくり挨拶できました。

屋久島から見た東京

89年から東京に住んでいます。以前は京都に住んだ経験があったのですが、再び日本に来て東京に住みついた時の目的ははっきりしていました。日本は環境破壊をしている国としての評判ができつつあって、私の耳にもその話が入ってきました。京都に住んだ経験から日本はとても好きになっていました。日本は経済大国で資源を大量に消費している国なので、もし日本の権力者が自然や命の大切さを忘れてしまえば、危険な国になると思いました。そんな危機感をもって日本人の環境意識を何とかしたいと思って東京にやってきました。

今回の屋久島旅行を企画して山のガイドをしてくれた朝倉淳也さんは実は東京のど真ん中に事務所をおいている弁護士です。生まれ育ちも人が込み合う都会の一部である下北沢です。東京に来た時に私が思ったことの一つは、東京に育つ人は野生の自然を知らずに育つのではないかということでした。都会の子供はもしも、電池で動くおもちゃと餌を食べる金魚の違いにあまり気がつかずに育つなら日本は本当に困った国になると思いました。「自然」とは何かを知らない人に、そのことをどのように教えることができるのでしょうか。自然の中へ連れていくしかないと思います。そして生きた環境に触れて感動すればそれは自然を守りたい気持ちにも繋がっていくでしょう。

朝倉さんは子供の時に山に行く機会があってその経験が深く印象に残ったそうです。そして今は山を登ったりしながら、自然を守る努力をしている東京人の一人です。くわしくは知りませんが、朝倉さんが子供の時に経験したことは、私が富士山を登った時のような「観光文化」のものではなかったでしょう。自分のオリジナルの生の体験ができたのだろうと想像します。

観光客

縄文杉から降りてしばらく観光客の間に混じってからまた人のいないところを何時間か歩きました。今回はトロッコ電車の残った路線に添っていったので、足はそれほど注意する必要がなくいろいろ考えながら歩きました。

自分は毎年2回程度スウェーデン行きの旅行を企画しています。それは観光ではなく環境保護の施策などを勉強するための視察旅行ですが、昔は日本人の団体旅行の観光ガイドをやった経験もありますので「旅行」のいろいろを受け入れ側から考えてきました。逆に自分が企画に関わらないで参加だけするのは少ないです。今回の屋久島旅行は個人が企画して仲間に参加を呼びかけたものでしたが、私は参加者だけになってとてもよかったです。自分が感じたことを後で考えると自分が企画する旅行の参考にもなります。その視点から考えて気づいたことは、企画してもらう「楽」と自分で生の体験をする「余裕」のバランスの大切さです。

スウェーデンで日本人の団体旅行向けの観光ガイドをしていたころからずっと思っていることがあります。旅行業は「サービス」というつもりでお客さんのために何でもする点です。私から見ればそのサービスをしすぎると個々の旅行者はそれぞれのオリジナルの生の体験をする余裕が消えてしまい、旅行者は単なる消費者に変わってしまいがちです。私たちが縄文杉から降りて行って観光客に出会った時にそう思いました。それぞれは縄文杉に行ってどんな体験ができるのでしょうか。自分で何かを感じたり考えたりする余裕があるのでしょうか。それともその先にガイドの解説などが入ってしまうのでしょうか。皆にとって、縄文杉に行った価値はどんなものでしょうか。あるパックツアーを消費しただけのことになるのでしょうか。それとも自分独自の体験をして思い出を心の中でもって帰ることができるのでしょうか。縄文杉の根っこは人が大勢に来たから痛んでいます。

私は、自分で企画する旅行も、参加する旅行も、行った場所を「消費する」だけであってほしくないです。何かをもらっていくものであってほしいです。訪問したところを犠牲にするのではなく、訪問したところが喜んで提供できるものを自分で楽しんで、また企画者として楽しんでもらいたいです。

今回参加して「自分が企画しなくてもいい」ことが楽で、そのおかげでできた余裕の中で自分で考えたら感じたりする「生の体験」も楽しむことができました。今度、自分で旅行を企画する時はそのバランスを大事にしていきたいと思っています。

人参

山から降りて登山は無事に終わりました。ガイドの表情もとてもほっとした表情に変わっていました。昼前だったのでおなかもすいてきました。出発前は、行動食としていろいろもってくるように言われて最後の日の昼食分ももってくることになっていました。山では何を食べたくなるかよく分からなかったので色々な種類をもっていきました。山を歩いている時に食べたくなるのは甘いものだと発見しました。そして最後の午前、降りて行く間にその日の昼はザックの中にあるものだと思っていたので、残っているものの中で一番食べたいのはどれかを考えてみました。それは生人参でした。生人参を一本もってきていました。その人参をかじるのはとても美味しそうに思いました。結局、田舎浜というところで牛丼を食べることになったのですが、人参の魅力は次の日まで残ったので屋久島の4日目に丸ごと食べました。

田舎浜というのは、ウミガメが産卵をしてくる場所ですが、ウミガメの研究と保護をしている団体「屋久島うみがめ館」の拠点でもあります。私だけがその団体のところに24時間滞在することになっていたのでそこで3日間の登山の仲間と分かれることになりました。

仲間は、連休があったおかげで屋久島に行くことができたが、その連休が終わると鉄くずが磁石につくかのように東京方面へと飛んで行きました。

2005年11月20日、レーナ・リンダル(Lena Lindahl)



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(c) Lena Lindahl 1999-2006